選んだように見える背景に、目を向けてみる
よくある見方・すれ違い
「育児に専念したいと本人が言ったから」
「家庭を優先したいという“選択”だったと思う」
「無理せず一度比重を変えるのも、その人の人生ですよね」
女性のキャリア中断について語られるとき、
このような言葉で整理される場面は少なくありません。
一見すると、本人の意思が尊重されているようにも見えます。
ただ、その「選択」は、本当にいくつかの選択肢の中から選ばれたものだったのでしょうか。
キャリア中断は「突然の決断」に見えやすい

出産や育児、家族のケアをきっかけに、
仕事を続けるか、いったん距離を取るかを考える場面は多くあります。
外から見ると、
「ある時点で本人が決めた」
「納得して選んだ結果」に見えがちです。
しかし実際には、
制度の存在は知っていたが、使い方が分からなかった
相談したいと思った頃には、選択肢が限られていた
周囲への遠慮が積み重なっていた
といった要因が、少しずつ重なっていることもあります。
決断そのものよりも前に、
「考える余裕が削られていった」
というプロセスが存在する場合も少なくありません。
制度や環境が、選択肢を静かに狭めることもある

制度が整っていても、
「前例がない」
「忙しそうで声をかけづらい」
「制度を使ったあとの働き方が想像できない」
といった状態では、
実質的に“選びにくい選択肢”になってしまいます。
こうした環境の中で、
最終的に「自分で決めました」という形をとることは、
決して珍しいことではありません。
それは主体性がないからではなく、
そう言わないと前に進めない状況だった、
という場合もあります。
キャリアコンサルタントの視点から

選択は、いつも環境と一緒に生まれる
キャリア相談の現場では、
「自分で選んだことだから」と語られる言葉の裏に、
迷いや葛藤が残っているケースをよく見かけます。
選択そのものが間違っている、という話ではありません。
ただ、選択はいつも
制度・職場の空気・相談のしやすさと切り離せない、
という点を見落とさないことが大切です。
もし条件が少し違っていたら。
もう少し早く相談できていたら。
誰かが「他の選択肢もある」と伝えていたら。
そうした「もしも」を考えることは、
過去を否定するためではなく、
次の選択肢を広げるための視点でもあります。
「本人の選択」で終わらせないということ
キャリア中断を
「その人が望んだこと」とだけ整理してしまうと、
同じ立場に立つ次の人も、
同じ選択肢しか見えなくなってしまいます。
一方で、
制度は十分に共有されていたか
調整の余地を一緒に考える姿勢があったか
と問い直すことで、
次に続く人の選択肢を増やすことができます。
これは、
誰かの判断を評価するための視点ではありません。
選べる前提を、環境として整えていく視点です。
最後に

ここで、一つ問いを置いてみます。
「その選択は、本当に“それしかなかった”選択だったでしょうか。」
今すぐ答えが出なくても問題ありません。
過去を振り返って、結論を出す必要もありません。
ただ、
キャリア中断を「本人の選択」という言葉だけで終わらせないこと。
その姿勢が、
これから選ぶ人の余白を守ることにつながります。
選択を個人だけに背負わせない。
その前提があること自体が、
安心して働き続けられる土台になっていくのだと思います。
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